満足に弾けないから楽器はとてもハードルが高い。が、しかしそれがちゃんとハードルが高いから「憧れ」という気持ちが芽生える。
高校の時、学校帰りに必ず楽器店に立ち寄っていた時期があった。別の学校の「腕自慢」の学生が大勢いたし、そこで知り合った人もいる。みんなお気に入りのジャンルの「あの曲の、あのソロ」を弾いていた。
他の店は知らないが、レコード売り場の次がLM、ギター等の売り場があって、フロアを別にしてピアノ、管楽器・弦楽器の売り場がある。LM、ギターのフロアは、高額な輸入楽器を除けば簡単に手に取ることができたし、試し弾きどころか本気で練習していた人も少なくなかった。もちろん、友人にイイところを見せようとしていた人はもっと多かった。さすがに管楽器・弦楽器となるとショーケースの中にある楽器を簡単に手に取ることはできないから、「買う前提で見せてもらう」のだろう、と思う。
ピアノ、電子オルガンのフロアは、敷居の高さが異なる。電子オルガン(YAMAHAの場合はエレクトーン)は、試弾しやすいが、ピアノは特にグランドピアノは圧倒的に敷居が高かった。何しろまともに弾けないんだから、変則技でその敷居を越えようとするのは超絶技巧に等しい。ごくまれに「あ、○○様、いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」と案内されて、奥のピアノ試弾コーナーに案内されていく人を見かけた。興味本位で近くまで行って何を弾くのか聴いていたこともあるが、運指が難しい曲をドヤ顔で弾いていた人よりも、ベートーヴェンのようなアレンジで童謡を弾いていた人の方が圧倒的に記憶に残っている。
「聴きたい」と切望してコンサート(当時「ライブ」とは言わなかったね)に足を運び、圧倒されて返ってきたのはオスカー・ピーターソンだった。楽器に対する心のハードルが高いから、演奏に対する憧れも大きい。そんな大きな憧れに圧倒されたんだから、心地良く圧死させられたようなものだ。まさに「昇天」とはこういうことを言う。それが昭和60年頃の話。
そして平成を越えて令和に至り、仙台市の市街地にも「ストリートピアノ」が「登場した時期があった」。街中で自由にピアノに触れられるのか、と思ったが、あっという間に姿を消した。
きっと弾く方も聴く方も楽しくなかったんだろうと思う。ヨーロッパの「駅ピアノ」のようにはいかないんだろうなぁ。